「痛み」を扉にして「ほんとうのわたし」と出逢いなおす|インナーテクノロジー研究家・三好大助

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「まさかこんなことが起こるなんて」

予期しない出来事が世界で次々と起こっている今、私たち一人ひとりの生活も、これまでの延長線上ではいられません。「これからどうやって生きていこう」。今までの常識が通用しない不安の中、今一度自分の人生を、生き方を、見つめ直しているひとも多いはずです。

これまでの延長線上のパターンではない、「ほんとうの願い」を生きる人生をどうしたら創れるのか。この問いを考えるために、人間の内的変容を探究しているインナーテクノロジー研究家であり、作家の三好大助さんにお話を伺いました。

グラミン銀行やGoogle、サンフランシスコのスタートアップと一見輝かしいキャリアを歩んできた、三好さん。しかし三好さん自身も「強い恐れに駆り立てられて生きてきた」と語ります。人生が大きく変わったのは、自分の「痛み」の扱い方が変わったからなのだそう。

三好さんの言う「痛みを避ける」のではなく「痛みを扉にする生き方」とはどんな生き方なのか?あなたのヒントになるはずです。ぜひ、御覧ください。

何者にもなれなかった絶望の先で出逢えたもの

──「インナーテクノロジー」という言葉を初めて知りました。どういう意味なのでしょうか?

マインドフルネスやNVC(Non-Violent Communication)、メンタルモデルなど、世界には人間の内的世界を扱う様々なアプローチが存在します。それらの総称として「インナーテクノロジー」という名前を僕が勝手に付けました(笑)。世界各国にある有効なインナーテクノロジーを研究、体系化して、紹介する活動をしています。

イメージでいうと、お医者さんが患者さんに薬を処方するのに近いかもしれません。個人や組織に合わせて、必要な変容を促すのに最適なインナーテクノロジーの組み合わせを紹介したり、実践を伴走したりしています。

──もともと人間の内面に興味があったのでしょうか?

まったくそんなことはなく、むしろ肩書きや地位など外側にあるものを追い求めてきた人生でした。特に学生時代は、社会的に意義あることを成し遂げて「何者かになってやるんだ」と意気込んでいたんです。大学を休学して、貧困解決で有名なバングラデシュのグラミン銀行で働き始めたのも、正直そうした背景が大きかったですね。

──グラミン銀行の次はGoogleへ、その後はサンフランシスコのスタートアップで活動されていますよね。とても輝かしい経歴をお持ちだなと思っていました。

そう捉えられるかもしれませんが、今振り返ると当時は恐れのカタマリだったんですよ。「バングラデシュなんてよく行ったね」なんて言われたりしたんですが、僕としては何もせず日本にいるだけのほうがよっぽど怖かったんです。「このままじゃ何者にもなれない。誰にも見てもらえない存在になってしまう」と。

その恐れから逃れられるなら、危険だと言われる途上国にさえ平気で飛び込めた。そしてGoogleやサンフランシスコを目指したのも、そうした場所に行けたら「何か変われるんじゃないか」という期待もあったからだと思います。

──そのような期待から実際に働いてみて、どうだったんでしょうか?

お察しの通り、やっぱり内面は満たされなかったんですよね。むしろ焦りと虚しさは増していきました。

もちろんスキルが伸びたり、成果を出して承認されることで、いっときの効力感はありましたよ。でも評価された後の二週間後くらいになると、「次はもっとユニークな価値を出さないと」とより大きなプレッシャーと恐れがやってきて、それをまた乗り越えての繰り返しで。どこまでいっても本当の安心は訪れなかったんですよね。

そんな中、サンフランシスコのスタートアップにいたとき、仕事に没頭するあまり許可滞在日数をあろうことか四日過ぎてしまって。不法滞在となってアメリカに居られなくなってしまったんです。

──えぇ!それは大変!

当時は本当に、絶望状態でした……(笑)。アメリカでキャリアを積み重ねて何者かになりたかったのに、その道が完全に閉ざされてしまった。

ただ、日本に帰国する飛行機の中で泣いていた時、絶望の気持ちと同時に、なぜだかホッとしている自分にも気づいたんです。

──それはおもしろいですね。

そのとき「なんで自分はホッとしているんだろう?この気持ちは何か大切なメッセージに違いない」と直感したんですね。

当時すでにアメリカで、今で言う「インナーテクノロジー」のいくつかに触れていたこともあって、こうした分野に興味は持ち始めていたんです。

「このホッとした気持ちの正体を理解して、次の人生を考えたい」。そのためにも、おもしろいインナーテクノロジーを研究してる人に日本でも会いに行って、自己探究しようと思い立ちました。

そこで衝撃的な出逢いとなったのが、今自分が柱の一つにもしている「メンタルモデル」というアプローチだったんですよ。

「痛み」の奥であなたを待っている「ほんとうの願い」

──「メンタルモデル」も人間の内面を扱うインナーテクノロジーのひとつということですよね。

そうです。今や一緒にプログラムをつくる仲間でもある由佐美加子さんが当時から独自に探究していたものです。

当時彼女も世界各国のいろんなインナーテクノロジーを探究していたんですね。そんな由佐さんが「人間の内的構造と変容の鍵はこれだ!」と掴んだエッセンスを凝縮したのが、「ザ・メンタルモデル」というアプローチで。彼女がこのメンタルモデルを体系化しようとしていたときに出会って、僕も一緒に探究するようになったのが今から6年前のことでした。

──三好さんの人生を大きく変えた「メンタルモデル」とは、どんなアプローチだったんでしょうか?

メンタルモデルとは、過去の痛みに基づいて誰しもが無自覚にもっている、「私は〇〇だ」という自己定義のことです。この自己定義を越えて、自分の「ほんとうの願い」を生きることを支えるアプローチがメンタルモデル、という風に捉えています。

僕たちは誰もが、無自覚な自己定義を持っていて、その自己定義に基づいて独自の行動パターンをもっています。そしてその行動パターンの結果、味わうことになる体験のパターンがある。

例えば僕の場合は、2~3年周期で「追い出されてしまう」という出来事が人生で繰り返されていたんですよ。これが一番上の “体験パターン” ですね。アメリカの件しかり、過去には会社のチームや、学生時代のコミュニティなど、自分でもなぜだか分からないけど「追い出される」という体験が繰り返されていた。

じゃあその裏にどんな無自覚な “行動パターン” があったかと言えば、まず「僕はこういう価値ある存在です」と存在証明に走る。そうやってその集団や関係性で受け入れてもらったら、次は「どんな自分でも受け入れてくれるか」を試す、ということをしていたんです。これ、当時としては完全に無自覚ですよ(笑)。

いったん存在証明に成功して受け入れられたら、「じゃあこれくらいやっても許してくれるよね」と好き放題しだすもんだから、相手としては許容できなくて僕を追い出すことになる。考えてみたら当たり前なんですが、当時の自分としては本当に無自覚だった。

では、なぜしたくもないのに、そんな行動をとらざるを得なかったかといったら、その奥に「なにもない自分のままだと、存在を拒絶されてしまう」っていう感覚があることに気づいたんです。「拒絶」もさることながら、「わたしにはなにもない」と自己定義していたなんて、自分でも衝撃でした。

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佐藤純平

佐藤純平

1990年生まれ。フリーランスのライター兼ライフコーチ。うつ病で引きこもりの兄を持つ。

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