──なるほど。「なにもない自分」のままだと人から拒絶されてしまうから、「何かある自分」になろうと価値証明をする。その上で「どんな自分でも受け入れてくれますか?」と周りを試す。それで結局、相手から許容されず拒絶されてしまう、ということなんですね。

そうです。「拒絶される」という痛みを避けるために無自覚に創られたパターンなのに、結局「拒絶される」という現実が繰り返されていたわけです。

そしてその “痛み” の根幹は、やっぱり小さい頃の親との体験に端を発していることも気づかされました。

──それはどんな体験だったのでしょうか?

一番わかりやすいのは、親のお仕置きで、3歳くらいの頃から家の地下室に閉じ込められていたエピソードです。弟と喧嘩したりすると、みんなのいるリビングからまさに「追い出され」て、真っ暗な地下室で独り泣き叫びながら、存在を排除されたような感覚を味わっていました。

「ああ、自分は根本的に、この “孤独感” を二度と味わいたくなくて、人生を生きてきたんだ」と気づいたんですよね。

──それは痛かったですよね。

由佐さんもよく言ってるんですが、こうした “痛み” に直面するとき、子どもはその感情を受け止めるキャパがありません。なので思考で「この痛みは、○○だから起きたんだ」と理由づけをして自分を納得させようとします。訳も分からないまま地下室に閉じ込められているよりも、納得できる理由があった方がまだその事態を割り切ることができるわけです。

しかも幼少期は主観中心なので「自分が○○だから、この痛みは起きたんだ」と自分を理由にした文法を持ちます。この「自分が○○だから」とでっち上げた痛みの理由づけが、メンタルモデルの自己定義になるんです。つまり僕の場合は「自分なんてなにもない存在だから、親から拒絶されても仕方ないんだ」と思ったんだと。

これに気づいた時は、本当に衝撃でした。同時に長年味わうことを避けてきた孤独感や虚しさを、一気に思い出した瞬間でもありました。

──そこからその痛みをどう扱うと、繰り返してきたパターンから抜け出せるのでしょう?

避けてきた “痛み” を感じられるようになると、その奥にある “願い” につながることができるんです。この “願い” につながることで、新たな人生のパターンを創造する方向に自然と向かっていきます。

これも由佐さんがよく言ってるんですが、「本当はこうあるはず」という “願い” がなければ “痛み” は人生に起きません。僕で言えば「拒絶される」のがどうしてこんなに痛いのかと言えば、「存在そのままでつながり合っている」を体験したい、という “願い” があるからなんだと気づいたんです。

しかも自分含め誰もが「なにもない存在」ではなく「すべてがある存在」として。

──すべてがある……?

ひとりの人間のなかには、すでに必要なすべてがある。社会的に「欠けている」とラベルづけされることもあるかもしれないけど、「いのち」として見たときに、自分を含めた誰もが十全な存在であるんだと。そんな「すべてがすでにある」存在同士で、「ひとつにつながり合っている」。それを概念でなく、体験としてこの地上で味わいたいというのが、紛れもない自分の “願い” なんだと気づいたんですよね。

ただ幼少期は、その潜在的に持っていた “願い” を思ったままに体験することが物理的に叶わなかったので、”痛み” として刻まれた。そう理解できたときに、この自分の “痛み” さえも、愛することができたんです。

──そうやって “痛み” を愛せて、”願い” につながれたとき、どんな変化が起きたんでしょうか?

まずこの “痛み” の体験について父と母と、たくさん話をしました。自分が地下室に閉じ込められてどんな体験になっていたのか、親を責めるのでなくただ理解をしてもらって。そして親も当時どんな感情があって、なぜそうせざるを得なかったのかをとことん対話したんです。

そうやってどちらかが加害者・被害者になるわけではなく、お互いに「 “痛み” と ”願い” を抱えたただの人間同士」として理解し合えたのは、本当に大きかったです。

そうして親とつながり合うことを通して、「わたしはなにもない」「拒絶される」というメンタルモデルが必ずしも真実ではないということを、頭ではなく体感として肚落ちしていきました。

そこから「コミュニティに入ったらまず価値証明しようとする」「好き放題して受け入れてくれるか試す」といった行動パターンは、自然に頻度が減っていったんです。

もちろん今でも発動することはあるんですけど、発動した瞬間に気づいて別の行動を選び直せるようになったのが大きいです。

──”痛み” と “願い” につながれたら、自然に変化が起きていったんですね。

そうなってくると、だんだん「価値証明」みたいなことに興味も薄れていって。むしろ「わたしにも、あなたにも、すでにすべてがある。それを体験し合いたい」という “願い” を生きたいと思うようになりました。

その結果、「あなたという存在にあるものすべてを祝福する」ための表現として、メンタルモデルをはじめとするインナーテクノロジーを分かち合って、ひとの変容を伴走する、という今の活動に至っています。

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佐藤純平

佐藤純平

1990年生まれ。フリーランスのライター兼ライフコーチ。うつ病で引きこもりの兄を持つ。

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