突然の食物アレルギーで人生の生きがいだった「食」を失った、コミュニケーション・ディレクターの「さとなお」こと佐藤尚之さん。多くの食を制限せざるを得ない生活は、佐藤さんの人生を灰色に変えてしまいます。気がつくとベッドから出ることもできないほどのうつ症状に。
そんな苦しい日々から心を回復させたのは、自ら課した「走禅」と「必要とされること」。思いもかけない人生の落とし穴で経験した「つらさ」との向き合い方、そしてそこからどう立ち直ったのかについて前編・後編に分けてお届けします。
自らのアイデンティティ「食」の楽しみを奪った「アニサキスアレルギー」

食や旅のエッセイを数多く執筆してきた佐藤さん
──佐藤さんは、食物アレルギーをきっかけにうつ症状を発症したとのことですが、その経緯について教えていただけますか。
僕は、まだ電通の社員だった1995年に「www.さとなお.com」という個人サイトを立ち上げました。当時はインターネット黎明期で、日本にある個人サイトは100くらいしかなく、すぐに人気サイトになったんです。
そこで自分がおいしいと思う店を紹介しているうちにアクセスが集まるようになり、「ジバラン」という自腹レストランランキングサイト(のちに書籍化)を作ったり、朝日新聞にレストラン紹介連載(のちに書籍化)を書くようにもなりました。食と同じくらい旅も好きだったので、食と旅に関連した本を10冊以上執筆もしています。さぬきうどんや沖縄料理などに関しても、ブーム前にかなり研究をして本にしていました。
気がつくと会社でも食関係の仕事が増えていたんですね。そんなことを20年くらいやっているうちに、「食」は僕のアイデンティティになり、人生の重要なピースになっていったんです。
そんなある日、突然、重度の食物アレルギーになってしまいました。それは、忘れもしない4年前の2018年3月23日のこと。仲間とイタリアンレストランで食事をしてから帰宅し、寝ついたあと、深夜に苦しくなって目が覚めたら全身が真っ赤に腫れ上がり、そのうち呼吸困難になって救急病院に駆け込みました。血圧は上が60、下が20という数値で、もういつ死んでもおかしくない状態。そう、アナフィラキシー・ショックを起こしてしまったのです。
それまで花粉症すら患ったことがなく、アレルギーには無縁。あまりにも突然のできごとで、死の恐怖に震えました。最初は原因がわからなかったのですが、その夜食べた物はもちろん、あらゆるアレルゲンを検査して、最終的に「アニサキスアレルギー」だと判明。その夜に食べた「サバのマリネ」が原因でした。アナフィラキシーショックで救急搬送されてから3ヵ月後のことでした。
次にアナフィラキシー・ショックを起こすと命の危険が
──「アニサキスアレルギー」とは聞き慣れない言葉ですが、どのようなアレルギーなのでしょう。
マイナーな食物アレルギーですよね。アニサキスアレルギーとは、魚介に寄生する線虫「アニサキス」が原因で生じるアレルギーです。生きたアニサキスが胃に食いついて激しい腹痛を起こす「アニサキス症」とは別で、寄生虫アニサキス自体がアレルゲンになる食物アレルギー。だから、アニサキスが含まれている食品を食べるとアレルギー症状が出てしまいます。
しかも、僕はいったんアナフィラキシー・ショックで死にかけていていますから、2回目は最短で20分で死ぬ可能性があると言われているんですね。つまりアニサキスが寄生している可能性のある魚を食べると命の危険があるわけです。
海にいる魚のほとんどにアニサキスは寄生しているので、刺し身や寿司などの生魚はもちろん食べられません。それだけでなく、加熱してあっても、アニサキスの死骸の欠片が混じっていても反応するので、焼き魚、煮魚、練り物、摺り物など、魚料理のほとんどが食べられなくなりました。鮎や鰻や鱒など、海から遡上する魚もダメです。魚卵もダメだし、たとえば小さな海老(アミ)を使うキムチなんかもNGです。
そのうえ、和食の基本である魚介だしもNG。かつおだしを多用する和食の多くが食べられなくなりました。もちろん、うどんやそば、鍋などの汁物もダメですね。おまけに「魚介エキス」や「たんぱく加水分解物」などもダメ。ほとんどの加工食品やスナック類、弁当などにも使われていたりするので、コンビニで売られている加工食品やスナック類も、駅で売っている駅弁も、かなりの確率で食べられなくなりました。
──単純に魚介類だけを避ければいいということではないんですね。想像以上に深刻なアレルギーだというのを知りました。
日本は「だし王国」で、とにかくだしを多用します。たとえばチェーン店のカレーショップでも旨みとして魚介エキスを使っていることがあったり、パスタのチェーン店でナポリタンの隠し味にだしを使っていることもありました。スナックやおせんべいにもだしは使われています。要するに、外食や買い食いがほぼできなくなった、ということです。
食が大好きで、中でも魚や地方の郷土料理が好きだった自分にとって、「よりによって」という絶望的な結果でした。特に地方は魚料理が多いだけでなく、料理にだしを使っていることがほとんどです。アレルギーに対する意識も低い店が多く危険。地元の食に出会うのが旅の楽しみだった僕にとって、日常的に「食べられるものがない」というだけでなく、「旅にでる楽しみ」も奪われてしまったのです。
これは同時に「友人」との会食や旅も行けなくなった、ということを意味します。食事に誘えない。会食や宴会に参加できない。僕と一緒だと行ける店も旅館もないから旅行にも一緒に行けない……。どんどん孤独に引きこもるようになっていきました。
1日3度の食事の度に思い知る「食べられない現実」
──それだけ食に造詣が深い佐藤さんにとって、「食べられるものがない」という状況は相当ダメージが大きかったのではないでしょうか。
最初の数ヵ月は「なにクソ、そんなのに負けていられるか!」という気持ちでした。アレルギーに対する闘争心があったんですね。ただ、3ヵ月後くらいに季節が変わって「食の秋」がやってきました。そこで一気に気分が落ちてしまったんです。
日本の秋って、とても食欲をそそるじゃないですか。おいしい旬の食材が次々と現れて、魚や鍋が食べたくなる季節です。みんなが「日本人に生まれて良かった〜」と笑顔になる季節なんです。
SNSやテレビ番組などで流れてくるおいしそうな写真や映像が、ボディブローのように少しずつ効いてきて、ゆっくりと出口のない暗いトンネルに入り込んでいきました。秋を乗り越えたあとの年末年始もまたきついんです。意識してみるとわかると思いますが、日本の年末年始って和食だらけだし、魚介も多く使うんですね。お節料理も好きだったのに、魚介系が多くて食べられません。その頃からドーンと気持ちが落ちていきました。
──なるほど……。
食事って、1日3回あるじゃないですか。つまり、アニサキスアレルギーでいろいろ食べられないという事実が1日3回リマインドされる、ということなんです。失恋ならつらくても少しずつ心の傷を忘れられます。しかし、1日3回、食事の時間になる度に「もう、自分は好きなものをたべられないんだ」という現実を突きつけられると逃げ場がなくて、どんどん心が病んでいきました。
気分転換も難しいんです。外食できず、友人も気を遣って食事に誘ってこなくなるので、人ともなかなか会えない。旅に出ても、気分転換どころか、土地のものが食べられないという「つらさ」を思い知るだけなので行けません。
どんどん苦しくなって、「生きている楽しみはもう何もない」というネガティブなスパイラルに陥ってしまいました。気がつくと毎晩アルコールばかり飲むようになりました。もちろん、酒の肴もあんまりないので、酒だけがぶがぶ飲むわけです。もともと大酒飲みなこともあって、やけになって大量に飲み、朝は二日酔い気味で気分が落ち込んで、身体も重くなり、もっと落ちこむ。そのうちベッドから出られず、1日中寝ているようなうつ症状に陥りました。
「走禅」で自分の心の内側に向き合う
──うつ症状をご自分でも自覚していたということですね。
そういうとき、多くの人が心療内科などの専門医のドアを叩くと思うんです。僕も、サラリーマン時代に働きすぎたストレスで専門医に相談をしたことがありました。薬も処方してもらいましたが、あまり効果を実感できなくて。そのときの経験から薬には頼りたくないという気持ちが強かったんです。
そんな僕をうつ症状から救ってくれたのが、「走ること」、そして「必要とされること」でした。
──走ることを始めたのは、アレルギーを発症してからですか。
はい。アニサキスアレルギーと診断されてから約1年後の、2019年7月からです。
ちょうどその頃、今の主治医(アニサキスアレルギー専門医)と出会って、まずは3年間魚介類完全除去をしたうえで10年かけてゆっくり治して行こう、治った前例があまりない病気だから治らない可能性もあるけどとにかくトライしてみよう、という治療方針が決まりました。
3年間、約1000日、魚介類を完全に抜いて(可能性があるものは全部食べない。アニサキスの卵が浮遊している海の水を飲み込む可能性があるから海にも入らない)、IgE値を下げる。その後「減感作療法」で身体をアニサキスに馴らしていこう、という治療法です。まずはとにかく1000日間、厳密に魚介成分を抜かないといけない。それまでももちろん抜いていましたが、「厳密に」となると本当に細かい成分までなので、それって相当厳しいことなんです。
では、そのつらい1000日をどう過ごすか。僕はこう考えました。「どうせ苦難の道なら、その1000日でいろんなことにチャレンジしてやろう。どうせ苦しいなら前向きにたくさん苦しもう」。マゾですね(笑)。美術検定1級合格チャレンジ、開脚180度チャレンジなど全部で7つ目標を設定したんですが、その中で最も自分のメンタルを強くしてくれたのが「ランニング1000日チャレンジ」でした。
後編では、生きがいだった「食の楽しみ」を奪われた佐藤さんをうつから救ってくれた「ランニング1000日チャレンジ」という「走禅」、そして、心の支えとなった「自分が必要とされること」について詳しく伺います。
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