【後編】突然失った人生の生きがい。絶望の淵から救ってくれたのは「走禅」、そして「必要とされること」だった。|コミュニケーションディレクター・佐藤尚之

ウェルビーイングを保つために大切にしていること

4年前に突然アニサキスアレルギーを発症したコミュニケーションディレクターの「さとなお」こと佐藤尚之さん。前編では、死と隣合わせのアナフラキーショックを避けるために、徹底した魚介を中心とするさまざまな食を制限する日々の苦悩について伺いました。

生きがいだった食を失い、うつ状態に陥った佐藤さんを救った「ランニング1000日チャレンジ」という「走禅」。そして苦しい日々の中で実感した「仲間や社会から必要とされること」の喜び。後編では、今も続くアレルギーとの戦いの中で、ともすればくじけそうになる心をどのように立て直しているのかを伺います。

1000日走り続けることが、自分に向き合う「走禅」に

「毎日走り続ける」ことを自分に課してみた

──アニサキスアレルギー治療の目標として、3年間の徹底的な食事制限を決めると同時に「ランニング1000日チャレンジ」を始めたということですが、以前からランニングが趣味だったんですか?

いやいや、もともと走ることは大の苦手で、世の中で最もキライなことでした。大嫌いだったんです。そう、だからこそ、この一番つらいことをやろう、と決めました。そのくらい魚介類完全除去が自分にとってつらいことだったんですね。毎日3キロ、とにかく1000日走り続けると決心したんです。雨の日も風の日も台風の日も雪の日も、コロナワクチン接種の翌日も、とにかく毎日走り続けました。奇跡的に続いて、2022年4月7日に1000日を達成。総距離は3775キロになっていました。

友人にこのことを言うと「走る楽しさに目覚めたでしょ」「毎日走ってると、走らないとなんか気持ち悪くなるでしょ」とか言われるんですが、全然そんなことはありませんでした。1000日走って1日たりとも楽しいと思ったことはありません(笑)。走ることはどこまでも僕にとっては苦痛だったんです。

ただ、毎日走ることで、「日々、思いを新たにした」部分はありました。なにくそ、負けるもんか、という闘争心をキープできたんです。毎日毎日走ることで、毎日毎日新たに自分に向き合えたんですね。

そもそも毎日走るのって、ホント面倒なんですよ。できればやりたくない。毎回「さぼりたい、さぼりたい」と思っていました。でも、とにかく出かける。シューズを履いて走り始める。そうすると3キロ約20分、自分に向き合う時間が生まれます。

自分と対話し、何が大切で何が大切じゃないかなど、走りながら瞑想めいたことができるようになりました。これはたぶん、僕にとって「走る禅」みたいなものだったんです。座禅は座る禅ですよね。だから僕の場合は「走禅(そうぜん)」ですね。ランニングしながら瞑想し、マインドフルネスを実践していった感じです。

──苦手なランニングをひたすら続けるうちに、自然とその時間が自分との対話になっていったんですね。具体的にどんな心境の変化が訪れたんですか?

「食べられないものだらけでつらい!」とか「食というアイデンティティを失ってしまった!」みたいに、自分が「失ったもの」ばかり意識が向いていたのが、少しずつ「自分が失ったもの」ではなく「自分が持っているもの」に焦点を当てられるようになっていきました。「あぁ、大切なものを失ったけどそれでも僕は幸せだな」と自然に思えるようになっていったんです。

もちろん、身体を動かすことも良かったとは思います。ポジティブになりますよね。でも、毎日毎日走りながら自分に問い続けたことが結果的にとても大きかったと思っています。失ったものを嘆き、うつに苦しんでいたけれど、まだ手元にはたくさんの幸せがあることに気づけました。

逆説的ですが、アレルギーになったおかげでいいこともありました。外食に行けなくなり、ランニングやジムも始めて、健康な身体が手に入ったんです。健診の数値もオールAになりました。コロナ禍ということも大きかったですね。みんな外食に行けないので嫉妬することもなかったし、仕事もオンラインだから昼食なども外に行かなくていい。コロナじゃなかったら、立ち直るのにもっともっと時間がかかったかなぁと思います。

ただ、走る──。単純なことですが、それをコツコツ続けたことで、少しずつ自分の心の周りを覆っていた黒いものが少しずつはがれていった気がします。

「僕はまだ必要とされている」ことが支えに

──「走禅」というのは、素敵な言葉ですね。もうひとつ、「必要とされること」も、うつ症状からの回復を助けてくれたということですが。

ちょうど、アニサキスアレルギーを発症した2018年3月の1ヵ月前に「ファンベース」という著書を出版して、大きな反響をいただいていました。そして、アレルギーと闘っている最中の2019年5月には、野村ホールディングスとアライドアーキテクツから出資のお話をいただき、「ファンベースカンパニー」を設立。ファンベースという概念を実践する会社のスタートです。

アニサキスアレルギーを発症する直前に出版された『ファンベース──支持され、愛され、長く売れ続けるために』(ちくま書房)

僕が提唱していた「ファンベース」という考え方に賛同し、出資してくれる会社があったことは、大きな励みになりました。「あぁ、こんな僕でもまだ必要とされている」と。しかも、その会社に、「人生をかけて関わりたい」という仲間たちが集まってきてくれたんですね。このことも、とても大きかったです。「僕はまだ必要とされている」という実感。これが本当に大きな励みとなりました。

──それって、すごいタイミングですね。

もちろん、その最中もうつで苦しんでいるんです。ただ、特にこの会社のスタート時には、僕が絶対必要なんですよね。その「やりがい」はとても大きかった。だから苦しくても辛くても、仕事はきちんとやりました。コロナ禍だったことも幸いでした。身体が鉛のように重くて起き上がれないときは、自分の画面をオフにして、ベッドに寝たままオンライン会議に参加したりもしていましたから。

もし、リアルでオフィスに行っていたら、どうしても同僚とのランチや夜の接待の機会も出てきますよね。コロナでそれもなかったのもラッキーでした。もし、そんなのがあったら、きっと毎回ドヨーンと落ちこんで、振り出しに戻っていたと思うんです。でも、そういうのがまったくないコロナ禍の2年間を過ごせました。多くの人には苦難だったでしょうが、僕的には本当についていたと思います。

あと、ここ10年、不定期で「さとなおオープンラボ」という私塾のようなものを開いていて、卒業生が400人くらいいるんです。アニサキスアレルギーを発症してから完全にうつではあったんですが、何か打開のきっかけになればと思って、しばらく開いていなかったそのラボをやることにしました。10期目のラボでした。

佐藤さんが主宰する「さとなおラボ」

募集を開始したら、ものすごい数の応募が集まりました。少人数制だったので、ひとつひとつの志望動機を読み込みながら選考していったんですが、それはもう熱い志望動機の連続で……。「あぁ、こんなに必要としてくれている人がいる、それなのに僕はなんで落ちこんで引きこもっているのか」と、心から反省したと同時にスイッチが入った感覚がありました。

また、家族や親友の助けも大きかったですね。はっきりと「私はあなたを必要としている」みたいな気持ちを伝えてくれる人もいて。そのたびにぐっと気合いが入ったというか。

失ったものに縛られず、今、手にしている幸せに気づく

──うつを抱えながらも働いている人はたくさんいます。そんなときに、「社会から必要とされていること」に気づけると、自分自身がラクになれることを教えてもらったような気がします。「走禅」や「会社の仕事やラボ」は、今の佐藤さんにどんなマインドセットを与えてくれたのでしょうか。

僕はアニサキスアレルギーになったことで、人生の生きがいみたいなものを失いました。「食物アレルギーなんて好き嫌いみたいなもんじゃないの? それほど大したことないんじゃない?」という世間の偏見にも、レストランでの冷たい対応にも深く傷つきました。

しかし、失ったものがあっても、今、手に持っているものもある。僕には大切な家族や友人もいれば、必要としてくれる仕事もある。幸せな記憶もたくさんある。周りに豊かな自然もあるし、本や映画など楽しいものもたくさんある。食事だって魚は失ったけど美味しい野菜や肉がある。僕が影響を受けた言葉に、骨肉腫で足を失ったパラリピアンの谷(旧姓・佐藤)真海さんによる五輪招致時のスピーチがあります。

「19歳の時に私の人生は一変。骨肉腫となり足を失ってしまいました。絶望の淵に沈みました。でも、私は目標を決め、それを乗り越えることに喜びを感じました。そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました」(2013年9月「2020年夏季オリンピック開催地」を決めるIOC総会​​でのプレゼンテーションより一部抜粋)

この言葉にはロジカルに納得し、いったん「自分が持っているもの」を数え上げましたね。家族、親友たち、仲間、会社、仕事……。とても大きな生きる力になりました。

ほかにも、エリック・アイドルの歌『Always Look on the Bright Side of Life』​​、NHKの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』でも有名になった『Life can be so sweet on the sunny side of the street​​』というフレーズなどにも励まされました。「人生には良いことも悪いこともある。それでも明るい方向を見て日向を歩いていくことが大事なんだ」と、絶望の淵に落ちた経験をした今だからこそ、改めて強く心に言い聞かせています。

僕のデスク前のコルクボードにはいろんな言葉が貼ってあります。自分を励ましたり、自分に向き合ったりする言葉たちです。折に触れて見返して自分の現在地の再確認をくり返しています。

──完全魚介除去の3年を経て、現在の症状はいかがですか。

実はちょうど1000日チャレンジを達成する直前、つい3ヶ月ほど前ですが、新たに玉ねぎとじゃがいものアレルギーになってしまったんです。ちょうどうつを乗り越えたあたりに突然そんなことになり、またしてもかなり落ちこみました。

いやもう、なんか言葉にならないですね。「え、魚介だけでもこんなに苦しいのに、玉ねぎということはカレーとかハンバーグとか洋食もダメ? ヨーロッパでは主食であるポテトもダメ?」……こんな仕打ち、あんまりですよね。

それでも、この4年で「落ち込みをやりすごす方法」はずいぶん開発できました。なので対処はできるなぁといま落ちこみながらも前に進んではいます。

1000日を達成したランというか「走禅」は、2000日に向けて続けることを決め、仕事でもアレルギーをきっかけに逆に新たに手に入れた「弱者の視点」を活かしながら頑張ろうと思っています。そう、僕は食の「強者」だったと思うんだけど、こうなるともうかなりの「弱者」です。得意分野が不得意分野に一気に変わった。でも、それはある意味「貴重な体験」で、きっと社会や人の役に立てる部分がある。それを活かしていろんなことをやっていきたいですね。

まぁ、どうしても気持ちの乱高下があって、うつっぽく落ち込んでしまうことはありますが、そこからニュートラルに戻せる方法もわかっている。上手に自分を飼い慣らしながら前に進みたいです。

「あなたはひとりじゃない」と伝えたい

──最後に佐藤さんのように、突然の出来事でメンタルが不安定になってしまっている人に向けてアドバイスをいただけますか?

人生は、思ってもみない落とし穴に遭遇することがあります。絶望から立ち直れなくて、うつに苦しんでいる人も多いでしょう。そんなとき、騙されたと思ってぜひ身体を動かしてみてください。気分転換のため、というより、「身体を動かす時間」を「自分に向き合う時間」にしてみる。これは僕の経験上、わりと効果があると思います。

身体を動かすだけでもポジティブな気持ちが生まれますけど、同時に自分に向き合うことで、自分に対してもポジティブになれたりします。しかも、続けると体力もついてきて、心に明るい光が差してくることもある。うつになる人は真面目な方が多いと思いますが、その真面目さを「身体を動かしながら自分に向き合う」ことに向けてみるといいのかもしれません。

僕はこれから、ファンベースカンパニーという本業に加えて、アニサキスアレルギーについてもっと情報発信していきたいと思っています。アニサキスアレルギーに苦しむ人たちと情報や闘病のつらさを共有し、社会への理解も広げていきたい。

そしてもっと広くメンタル面に光を当てた医療情報のプロジェクトとか、落ちこんだ人のコミュニティとか、いろいろやってみたいと思っています。心も身体もやられてしまってどん底にいる人たちに、「あなたはひとりじゃない。一緒にがんばろう」と伝えたいと思っています。

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久遠秋生

久遠秋生

フリーランスライター。料理から子育て、ITベンチャーの起業家インタビューまで幅広く 手掛ける。女性メディアやビジネスメディアで「人間関係の疲れ」や「レジリエンス」な どメンタル記事を取材・執筆。

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