「しあわせ・笑顔・豊かさの循環」というビジョンを掲げている株式会社 陽と人(ひとびと)。代表取締役である小林味愛(こばやし みあい)さんは、官僚、民間シンクタンクを経てこの会社を起業されました。
一見華々しいキャリアを歩み、順調に起業へ至ったように思えますが「『しあわせ・笑顔・豊かさ』といったものとはかけ離れた、人生で一番幸せじゃない時期を過ごした」と彼女は語ります。その時期に何を思い、どのように変わっていったのか。
彼女が考える幸せについて迫ります。
あえて心を閉ざし、ロボットのように働いていた

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──小林さんは国家公務員時代にかなり過重労働をされていたと伺っています。残業が300時間を超える月もあった、とか。
そうですね。いわゆる「バリキャリ」で、仕事ばかりしていた私のことを「鉄の女」と言う人もいたぐらいでした。当時は「とにかく強くあらねばならぬ」という思考にとらわれていて、ロボットのように働いていましたね。心をあえて閉ざすように、自分の感情や感覚は全く気にしないようにしていたんです。
どんなに体調が悪くても目の前のことに集中して、忘れるようにしていました。1日も休んでいなかったと思います(笑)。
──そんな状況に耐えきれなくなって、民間企業に転職なさったんですか?
耐えきれないというネガティブな理由ではなく、どちらかというともっとポジティブな理由からでした。
国家公務員として政策を考える仕事をしていたのですが、現場のことを全く知らなかったので、いくら考えても机上の空論で終わるような気がして。もっと地方自治体や企業と直接関われる仕事をしたいと思い、コンサル業務ができるシンクタンクに転職しました。
また私は大学を出て国家公務員になってしまったので、「普通の企業で働くのってどんな感じなんだろう」という興味もありました。
──民間企業に転職されてから、働き方に変化はありましたか?
もちろん変化はありました。国家公務員時代よりも感情や感覚に目を向けられるようになったんです。ただ、そうしたら今度は心がつらかったんですよね。このときが今までの人生で一番幸せではなかった。心の辛さが身体にも出てきて、10円ハゲ(円形脱毛症)が常にできていたんです。
それで毎日「どうして自分はこんなにも幸せじゃないんだろう」と考えるようになりました。たぶん恵まれた環境にいるはずなのに、こんなことになってしまっている。当時はその答えがわからなかったんですけど、いま振り返ってみると大きな要因は3つだったかなと思います。
『幸せ』からかけ離れた、3つの要因
──幸せを感じることができなかった要因が3つ……。1つ目はなんでしょう?
自分の強みや得意なことをきちんと把握できていなかったことです。
国家公務員はスペシャリストではなくて、どちらかというとジェネラリストなんですね。さまざまな分野の仕事をある程度できる状態になることが求められる。だから自分の強みを把握して、それを伸ばそうとする発想が私にはありませんでした。
それで民間に行っても、自分の強みや得意なことがよくわからなかったんです。例えば、コンサルという仕事をやっているのに、そもそも私はサポートが苦手だなと気づいて。新しいものを作るゼロイチの部分のほうが得意だったんですよね。
──コンサルはサポートの側面が強いですもんね。
そうなんです。自分自身が事業主体ではないから、クライアントから言われたことをやるみたいな、受け身で行う仕事ばかりでした。
自発的な提案もありますが、それはあくまでもクライアントの要望に沿って行うので、自分には合っていなかったなと思います。
──2つ目はどのような要因でしょうか?
2つ目は会社の価値観と自分の価値観が圧倒的に合わなかったことです。
私は学生のときから、社会の役に立ちたいという思いがずっとあって、ボランティア活動に積極的に参加したり、NGOやNPOの活動に寄付をしたりしていました。そういう社会貢献をしているときのほうが幸せだったんです。
国家公務員のときは極端に言うと、稼ぐことを考えずに、本当に社会のためになるかという観点で仕事をしていました。それが民間企業にきてみたら、稼ぐということをすごく求められたんです。当たり前なんですけどね。
例えば、社会的に意義のあることをされていて、本気で寄り添いたいと思えるクライアントさんだったとしても、相手に資金力がないと会社からは認めてもらえなかったんです。「その案件は効率が悪いよね」って。
一方で、報酬額が大きい案件をとると「経験も浅いのにそんな大きい案件動かせないだろ」と言われることもあって。「じゃあ、どうすればいいの!?なんなん!」みたいな(笑)
──なるほど(笑)。
そうやって会社に言われるように自分を変えていった結果、本当に自分が大切にしたいものを見失ってしまったんです。また、「経済的利益が一番大事みたいな価値観」にどうしても染まりきれませんでした。
すぐに会社を辞めればよかったのかもしれませんが、それだと「落ちこぼれになっちゃうんじゃないか」という不安もあって。「石の上にも3年」という言葉を真に受けて、3年耐え続けていたからやっぱり「幸せ」ではありませんでした。
──それは確かに心がつらくなってしまいそうですね。
3つ目は「肩書きを持つのが嫌になった」ということ。肩書きがあると、「私」ではなく、肩書きで判断されることが多いじゃないですか。「リーダー」だからとか、「マネージャー」だからとか。それが私にとってはすごいどうでもよかったんです。ただ、肩書きで判断され続けると「肩書きにあった発言」や「肩書きにあった行動」を無意識のうちにするようになってしまっていた自分もいて。その結果、自分の能力や自分の意見がよくわからなくなってしまったんです。
いくら肩書きがあっても信用できない人は信用できません。
肩書き抜きでの個人と個人の信頼関係が大事だと思っていて、そういう関係を周りと築いていきたかった。でも組織の中にいると、どうしても肩書きありきで仕事をしてしまうことから抜け出せずにいました。
そういう人間関係しか築けないのは、本当に寂しいなと思っていました。
自分とは全く違う幸せのかたちを知った、農家さんたちとの出会い
──会社を辞められてから起業をされたのは、この3つの原因を解消できると思ったからでしょうか?
他に選択肢がなかったという感じですかね。
自分の得意なことができ、価値観のギャップがなく、肩書き抜きの人間関係が築ける。それにきちんと社会に貢献できる仕事をしようと考えたら、起業するしか道がないよな、と。
──なるほど。実際に起業をされてみて、幸せを感じるようにはなっていったんでしょうか?
起業をしたからというよりも、福島県国見町の農家さんたちとの出会いによって、徐々に価値観が変わり、幸せを感じるようになりました。農家さんたちに出会うまで、私は自分だけの幸せについて考えていて、キャリアのことで頭がいっぱいだったんです。どんな仕事に就き、どんな働き方をすれば幸せになれるかということで悩んでいました。
でも農家さんは家族含めた幸せを考えていたんです。仕事はあくまで手段でしかなくて、自分を含めた家族全員が幸せになるために農業を行っている人ばかりでした。
私はそれまで家族を含めた幸せなんて考えたことがなかったんです。25歳ぐらいのときに結婚したのですが、それも幸せになりたいというよりは、早く結婚しておいたほうが楽だなぐらいにしか考えていませんでした。
夫は子どもが大好きで、自分たちの子どもがほしいと言われることもありました。でも私はキャリアのことしか考えていなかったので、子どもを産む理由がわからなかった。それぐらい家族について考えていませんでした。
──万人が子どもや家族を作るのが幸せ……というわけではないような気もします。
それは私もそうだと思います。
ただそれまでの私とは全く違う価値観に触れたことが大きかったんです。農家さんたちは「子どもは作らないのか?」と私に聞くんですね。それで「子どもを作る意味がわからないんです。いらないと思っていて。子どもは必要なんですかね?」と答えると「はぁ?」みたいにびっくりされちゃって(笑)。「なんのために生きているんだ」と純粋に質問されたこともありました。
要するに、自分が求める働き方をすれば幸せになれると思っていた私とは、全く異なる「幸せ」の形があることに気づいたわけです。幸せには多様なあり方があるんだと、そこでようやく知って……。