発達障害を強みにできる人生を模索して、今がある。「リト@葉っぱ切り絵」の個性と向き合う旅|大人の発達障害特集【後編】

ウェルビーイングを保つために大切にしていること

発達障害という言葉が広く知られるようになり、「自分が抱えていた“生きづらさ”は発達障害が原因だったのでは?」と、大人になってから診断を受ける人が増えています。mentally編集部では「大人の発達障害特集」と題し、前編で“大人の発達障害”について精神科医からの解説インタビューを公開しました。

後編となる今回は、発達障害の特性を活かし、葉っぱ切り絵アーティストとして活躍するリト@葉っぱ切り絵さんにインタビュー。

大人になってから発達障害の診断を受けたリトさんの葛藤、そして自分の特性と向き合う“旅”のゴールで出会ったものとは──。

社会に出た途端に、凸凹な個性が許されなくなった

初作品集『いつでも君のそばにいる』より「君に会いに来たんだ」

──集中力の強さやこだわりを活かし、1枚の葉っぱから精密な切り絵アートを発表しているリトさんですが、ご自身が発達障害であることに気づいたのは30歳くらいだったそうですね。子ども時代は、どんなお子さんだったのでしょうか。

子どもの頃から不器用で運動も得意ではありませんでしたが、自分も周囲もそういう個性の“普通の子”だと思っていました。極端に何かができないとか、トラブルもなく、のびのびとした子ども時代でしたね。

──子ども時代は特に不自由を感じていなかったのに、大人になって「自分が発達障害ではないか」と考えるようになった理由はなんだったのですか?

大学卒業後、飲食業に就職したのですが、そこで初めて「自分はみんなと同じようにできないんだ」と痛感しました。例えば、食材を切ったり並べたりするとき、みんなと同じようなスピードとクオリティのバランスがうまく取れないんです。

食材を切るときも過集中の性質が出て、ものすごく時間をかけて丁寧にしちゃうんです。そうすると、「仕事が遅い!」と叱られる。じゃあスピードをあげてやってみると、今度は「これじゃあ、雑すぎる!」って。「これくらいがちょうどいい」というバランスが、僕にはまったくわからなかったんです。

集中すると視野が狭くなるので、ほかのことにも気が付かなくなるのも問題でした。まな板の横にある調理器具が見えなくてあたふた探したり、集中しているときに他のことを頼まれても聞こえなかったり……。

パートのおばさんたちが普通にできることも、正社員の僕はいつまでたってもうまくできないまま。上司や同僚からは「なんでこんな簡単なことができないんだ」と言われ続け、すっかり自信を喪失してしまいました。周囲の視線にも敏感になって、「また、使えない奴だと思われている」と常にビクビクしていましたね。

自分が怠けているから、頑張っていないからできないんだ。そう自分を責める日々が続きました。

──のびのびと過ごしていた学生時代から自分自身が変化したわけでもないのに、社会で受け入れられないという現実には、大きなギャップを感じたのではないでしょうか。

学校では、人と多少ペースが違っても「それぞれの個性」として認めてもらえました。でも、社会ではそれが通用しなかったんです。利益を上げるというビジネスの目標を達成するには、みんなと同じようにできる「同質性」が絶対的に必要で、凸凹は認められない。その環境のギャップに、精神的にかなり追い詰められましたね。

結局、居心地が悪くて最初の会社を7年で退職。その後、2つの会社で働きましたが、「なんで、できないの?」と責められる状況は同じでした。

「発達障害」と診断されて、心からホッとした

──そんなリトさんが、どういうきっかけで「発達障害」に行き着いたんですか。

自分と同じように仕事のできない人が他にも世の中にいるはずだと思ってインターネットで検索していたら、とある質問サイトでの誰かの質問に対して、別の方が「それって、発達障害ではないですか?」という回答をしていました。そこで初めて、「発達障害」という言葉を知ったんです。

調べてみると、発達障害の特性に自分がぴったりあてはまりました。すぐに病院に行ったところ、「発達障害」という診断が下りました。

──自分に障害があるなんて思ってもいなかったリトさんにとって、診断が下ったことはショックではありませんでしたか。

ショックはまったくありませんでしたね。逆に「発達障害」と診断がついて「よかった」というのが本音でした。それまで自分を責め続けていて、「自分ができない理由」が欲しかったのが大きいです。「ああ、怠けているとか無責任だとかではなく、できない理由は発達障害だったからだ」と、心底ホッとしました。

──会社にもすぐに発達障害であることを報告したそうですね。

カミングアウトすることで、できない理由を理解してもらい、配慮してほしかったんです。たしかに最初は上司にも「そうだったんだ。協力するし、配慮するようにする」と言われましたが、数日もすると、また怒られることの繰り返しでした。

上司からの「ほかのメンバーには言わないほうがいい」というアドバイスもあり、一緒に仕事をする人たちからは相変わらず「できない奴」扱いされたままだったのも、環境が変わらなかった理由です。

そんな状況に嫌気がさして、会社勤めをやめて、発達障害の過集中やこだわりという特性を強みにできる仕事を見つけようと決心しました。

久遠秋生

久遠秋生

フリーランスライター。料理から子育て、ITベンチャーの起業家インタビューまで幅広く 手掛ける。女性メディアやビジネスメディアで「人間関係の疲れ」や「レジリエンス」な どメンタル記事を取材・執筆。

関連記事

特集記事

TOP