ADHDは発達障害の一部です。発達年齢に比べて落ち着きがない、多動性・衝動性、注意が散漫になる、作業にミスが多いといった特性があります(※)。発達障害は脳の偏りとも言われていて、本人や周囲がその特性を理解して生活していく必要があります。
「自分はほかとは違うのかもしれない」と幼少期から悩みを抱えていた、デザイナーの津田晋吾さん。自身のTwitterでADHDに関するツイートをしたところ、6000件を超えるリツイート、5.2万件のいいねがつき、話題になりました。今回は生きづらかった学生時代や、ADHDの性質が今の仕事に与えている影響についてお話を伺います。
ミスの連続で死にたくなり、カウンセリングへ
——初めて病院でカウンセリングを受けたきっかけを教えてください。
元々ADHDの傾向はうっすらあったのですが、特にミスが連続していた時期がありました。連絡が遅れて税理士さんから怒られたり、単純なミスが増えたり。そのときに「自分はここまでデザインを追求しても、 結局人が普通にできることができないんだな」と感じましたね。ミスの連続ですべての評価が決まるなら、どれだけ努力しても無駄だと思ってしまったんです。「もう生きてる意味がない」と自殺も考えました。そのときは本当に追い詰められていたので、自殺の道具も買ってしまって……。そんなとき自分の今の状況をなにも知らない友達から「遊ぼうや」と電話が来て、なんとか踏み止まりました。それがきっかけでハッとなり、「これは異常だから病院へ行こう」と思ったんです。
——自殺を考えたのは今回が初めてですか?
5年前に自分の会社を立ち上げたのですが、その辺りからことあるごとに考えてしまいますね。創業したはいいけどサービスが上手くなかったときとか。周りからの期待値がぐっと上がるたびに、本来の自分とのギャップが生まれてしまうんです。消えてしまいたくなる瞬間は定期的にきます。僕の希死念慮は、「もうしんどいから消えてしまいたい!」というより、フラッと死にたくなるような感覚に近いです。 「これだけ努力しても、ミスをするなら死んだほうが楽だよね」という理性的で冷静な判断に近いですね。 今年の話ですが、本当に死のうと思って病院へ行ったこともあります。
「可愛げがない」と言われ、悩む事も多かった子ども時代
出典:unsplash
——プレッシャーからきているのが大きいのかもしれないですね。これまでもADHDの傾向があったといいますが、その傾向はいつからあったのでしょうか。
幼少期からありました。単純なミスが多い、忘れ物が多いといったことがありました。また、ADHDのなかでも僕が持ってるのは、「過集中」という極度に集中してしまう特性。ゲームをしてたら、親の呼びかけや周囲の音などが何も聞こえなくなるんです。現在デザイナーの仕事をしていますが、小さいころから絵を描くのが好きで描き始めたら止まらなかったんですよ。6時間でも7時間でも、とにかく永遠に描き続けていましたね。
——学生時代は協調性が低かったとご自身でも言っていましたよね。それが原因で孤立することも多かったとか。
自分の性格がどこまでADHDに影響しているかは、僕もよくわかっていません。ASD(自閉スペクトラム症)の方に多い特性ではありますが、白と黒のどちらかしか選択肢のない極端な発想・考え方である白黒思考も激しいです。物事を単純に捉えてしまうんですよ。ちょっと悪口が聞こえたら自分のことだと感じて、敵だと思い込んでしまうとか。あいまいな状況に耐えられず、「これはこうだ」と自分のなかで割り切ってしまう癖がありましたら。周りに合わせられないので、自分のなかで敵が多くなりがちな人生でしたね。上手に周りと関係を築き、楽しそうにしてる人たちを見ると、「自分はやっぱりほかの人とは違うのかな」と悩むことも多かったです。
——そんな津田さんを見て、周りの大人はどう接していましたか?
2パターンに分かれてた印象があります。多くの人は「可愛げがない」「 協調性がなくてダメだ」と言っていました。一方で、ごくわずかではありますが「お前みたいな人が将来活躍すんねん」「今は大人からの視線が厳しいかもしれないけど、自分なりの正義を持ってやっていけば必ず上手くいくから」と励ましてくれる大人もいましたね。
僕は昔から数学が得意で、幼稚園のころにはかけ算ができたんです。周りに合わせられない、可愛げもない、だったら勉強を頑張ろうと思っていました。勉強を熱心にやることで、徐々に自分のアイデンティティを保とうと思うようになったんです。だからこそ、自分は普通に就職するのとかは無理だろうなと思い、学生時代から起業をしたり、あらゆる活動をしたりしていたのかもしれません。
——学生時代と社会人になってからだとどちらが生きやすくなりましたか?
圧倒的に社会人になってからですね。やっぱり人に合わせることは苦手なので(笑)