富や名声では幸せになれない。「お笑い」で気づいた自分だけの幸せの形|株式会社BOOK代表・樋口聖典

今、自分がここにいること

人気ポッドキャスト『コテンラジオ』パーソナリティ、そしてポッドキャストブームの立役者として知られる樋口聖典さん。以前は音楽制作やお笑いの分野でも活躍していましたが、華やかなその裏ではメンタル不調に悩んでいたそうです。

樋口さんは、「つらい経験は『百“利”あって一“害”なし』だった」と語ります。そんな樋口さんに、メンタルダウンに陥りながらどのようにキャリアを築き、今にたどり着いたのか、そしてメンタル不調の波の中でつかんだ人生観についてお聞きしました。

「朝起きて昼働く」ができず、自分を責める日々

出典:Pixabay

──樋口さんは過去にメンタルダウンに陥ったことがあると伺いました。

はい。それも一度だけではなく、何度も繰り返しています。はじめは2006年の12月くらい、大学院を卒業して福岡でバンド活動をしながらWeb制作会社で働いていた頃です。

布団から起きられなくなり、何とか起きてもエネルギーが湧かない。会社に連絡する気力もなく、かかってきた電話にも出られない。病院に行っていないため診断はついていませんが、あれはうつに近い状態だったのではと思います。

当時はバンド活動を優先できるよう、フレキシブルな働き方をさせてもらっていました。でも、何もない日は朝10時に来て働くと決まっていたのに、どんどん出勤時間が遅れていって。気づけば昼夜逆転してしまったんです。

「優遇してもらってるのに、まともに朝起きることすらできない」と自分をすごく責めてしまい……。それがメンタルダウンのきっかけだったのかなと思います。

──その後、会社を休まれたのでしょうか?

当時の上司と社長が心配して「しばらく会社は来なくていい、とにかく休め」と言ってくれました。少し休んで回復はしましたが、働き出したらまた同じような状態になってしまったんです。

もともと、学生の頃から時間通り動けず、毎日のように遅刻していたこともあり「自分はそもそも、会社で働くことに向いてないんじゃないか」と思い始めました。会社に所属せずに1人で食べていく道はないかと考えたときに、心に決めたのが音楽制作の仕事でした。

僕が「東京に出て音楽の仕事をした」と言うと華々しいイメージがありますが、実は6割くらいは「会社勤めが無理ならフリーランスで食べていくしかない」というネガティブな理由だったんです。

小さな教室内で得た「人生最大の幸福感」

──上京後のお仕事とメンタルの状態はいかがでしたか?

ネガティブな理由で上京したとはいえ、やっぱりワクワクしていましたね。自分でスケジュールが決められるのもすごく楽でした。最初は生活も苦しく大変でしたが、上京した翌年には、少しずつ利益を上げられるように。

一方で仕事の成功と反比例するように、メンタル面はどんどん悪化して……。この頃、人生で一番重いうつ状態になって、ひとりで部屋にこもって自死を考えるまでになりました。

そのとき、当時東京に住んでいた中学時代の友人が、僕と連絡が取れなくなったことを心配して家にきてくれて。彼にいつ遊びに来ていいようにと合鍵を渡していたことで、命が繋がりました。

──そんなに大変な状況だったのですね。お仕事はうまくいっていたのに、うつ状態になってしまったのですか?

仕事が順調だったからこそ、ですね。音楽で食べていけそうだという感触を得て、このまま人生進んでいったらどうなるんだろうと考えました。

おそらくギャラも高くなり、知名度も上がり、責任も規模も大きくなって……と考えたら、当時思い描いた最終ゴールは久石譲さんや坂本龍一さんで。すでに偉大な先人がいるのに、僕がその道をなぞるのはまったく意味がない、僕が人生をかけてやる意味がないと思ってしまったんです。

今考えれば同じ人生にならないのはわかりますが……当時は視野が狭く、同じようなレールを歩むイメージしかできなかった。それで、生きる目的を失ってしまったんです。それが上京の翌年、2008年の年末ですね。

──その後はどのように回復されたのでしょうか。

一旦休養を取ってメンタルが落ち着いたときに、NSCという吉本興業の芸人養成学校に入りました。先ほどお話しした、命を救ってくれた友人に元々誘われて、入学手続きは済ませていたので。

──音楽の仕事が軌道に乗り出したタイミングで、お笑いの学校とは驚きです。

そうですよね。1人で音楽をやるために東京に出てきて、やっと軌道に乗りだしたところでいきなり芸人になるなんて、突飛だったと思います。

今振り返れば、おそらく刺激を自分の中に入れたかったのだと思います。想像できる未来をぶち壊してくれる何かをずっと求めていて、それがお笑いだったのではないかと。

──実際にNSCに入られていかがでしたか?

僕はそれまで、勉強もスポーツも音楽も、人並みにできました。ところがNSCでネタ見せしたら、びっくりするぐらいウケなくて。「あれ、おかしいな?俺に不得意なものはないはずなのに!」と思い、一気に火がつきました。

お笑いの動画を研究して、ネタもたくさんつくってと努力を重ねました。そうしたらあるとき、つくったネタがドーンとウケたんです。

そのときの快感は「人生史上最高」でしたね。今までも、バンドで海外のフェスに出たり、世間に知られている音楽をつくったりと、社会的インパクトの大きい出来事もたくさんありました。

けれども、NSCの教室内という限られた場で、先生と同期にネタ見せして大ウケしたという出来事のほうが、はるかに幸福度が高かったんです。

「お金持ちになる」「有名になる」「大きい仕事をする」という一般的な成功・失敗の判断軸があると思います。でも、幸福度に最も影響するのは、自分で決めたハードルをいかに高く飛び越えられるかだと気づいたんです。

豊田里美

豊田里美

ITベンチャー、住宅情報誌・Webの編集等を経て、2018年に福岡県糸島市に移住・独立。現在はフリーのエディター・ライターとして、記事編集の他、インタビュー記事中心に執筆活動中。

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