モデル・俳優業から、会社員へ。「自分は普通」だと思い込んで生きてきた私が、いま発達障害をオープンにする理由

今、自分がここにいること

生まれつきの脳機能障害で、人口の1%が持つと言われる発達障害「自閉スペクトラム症」。

自閉スペクトラム症のなかでも知能や言語の遅れを伴わない「アスペルガー症候群」の場合、社会的困難の現れが目立たず、障害の発見が遅れるケースがあります。

参考:厚生労働省 生活習慣病予防のための健康情報サイト e-ヘルスネット「ASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)について」

会社員兼モデル・俳優として活躍されている文目 ゆかり(あやめ ゆかり)さんも、その一人。31歳で「自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)」「ADHD」「うつ病」と診断されたことをSNSで公表しました。

「自分は普通なんだと思い込んで頑張ってきた」と話す文目さんに、発達障害と診断されるまでの苦悩、心地よいと思える環境を見つけるまでの道のりをお聞きしました。

発達障害だと診断されて、自分を守る選択ができるようになった

提供:文目ゆかりさん

──文目さんが発達障害と診断されたのは31歳のときですよね。幼い頃は、どのように過ごされましたか?

小さいときから、周りの人となかなかなじめませんでした。私の発言で傷つく子がいても、なんで傷ついているのかわからない。友人が怒っていても、怒っている理由がわからなかったんです。

中学生の頃、体調不良で学校を休んだときに「家で過ごす時間はこんなに楽なんだ」と気付いてからは、あまり学校に行かなくなりました。

高校では演劇部の活動にだけ顔を出して、あとはアルバイトに明け暮れていました。部活やアルバイトは、自分の役割が明確に決まっていたので苦になりませんでしたね。

──人間関係の構築にストレスを感じていたんですね。発達障害を疑ったことは一度もなかったのでしょうか?

実は、中学生の時に一度病院に行ったことがあります。テレビで見たADHDの特集で、「症状がすべて自分に当てはまっている」と思ったのが受診のきっかけでした。でもそのときは、「発達障害ではない」と診断を受けたんです。

──当時の心境を覚えていますか?

発達障害ではないと言われて、落ち込みました。物忘れが多かったり会話がかみ合わなかったりするのは、病気ではなく自分のせいだったんだと。

それからは、「自分は普通なんだ」と思い込んで頑張ってきました。でもどこかで、普通になれない自分は不幸じゃないといけないとも思い込んでいて。だからこそ根性で身についたスキルもありましたが、10代の頃は自分でも気付かないうちにわざと自分が傷つくような行動ばかり繰り返していました。「幸せになりたいのに、やってる事おかしいな?」と気づいてからは、人生が好転していきましたね。

──しかし、31歳のときに再び病院を受診されたんですよね。「もう一度病院に行こう」と思ったきっかけがあったのでしょうか?

当時、元夫と義両親と一緒に住んでいたんですが、家庭内のトラブルがあったんです。

私は昔から特定の音が苦手で、食事中に他人の咀しゃく音が耳に入ると、瞬間湯沸かし器みたいにカッと頭に血がのぼってしまいます。でもアスペルガー症候群だと診断されるまで、聴覚過敏の特性があることに気付いていなくて、知らず知らずのうちにストレスをため込んでいました。そしてある日、パニックを起こしてしまったんです。

「発達障害の可能性があるから、病院に行ってみたら?」と義両親に心配されて、言われるがままに病院を受診したところ「自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)」「ADHD」「うつ病」であることがわかりました。

──ご家族のアドバイスで受診したんですね。咀しゃく音が苦手だと、家族や友人との食事を楽しめず、つらいですよね。

BGMや人の声があると咀しゃく音は気になりません。だから今も、友人との外食は問題なく楽しめます。

ただ、いまだに忘れられない光景があって。子どもの頃、家で食事をしているとき母の咀しゃく音に腹が立って、「やめて!」とかんしゃくを起こしたことがありました。そのあと母はキッチンで一人きりでご飯を食べていて……。その姿を思い出すと今でも心が痛みます。

診断が下りて聴覚過敏を自覚してからは、電車のそばを通る時はイヤーマフをつけたり、私が別の部屋に行って一人で食事をしたり、耳栓を用意したりと対策をとれるようになりました。

──なるほど。発達障害だと診断されたときの気持ちは、いかがでしたか?

驚きましたが、ショックではありませんでした。「やっぱりそうだったんだ」と安心しましたね。

診断されたことで聴覚過敏の特性に気付けましたし、障害者手帳を交付してもらい公的な支援を受けられるようになりました。

何より、自分がどんな環境なら生きやすいのかを考えるきっかけになったんです。「ストレスになりそうな場所に行かない」「疲れる人間関係があるなら一旦離れる」など、自分を守る選択ができるようになりました。

メンタルダウンを経て、環境を変えることを決意

提供:文目ゆかりさん

──現在は、どのような活動をされていますか?

今年から、障害者就労継続支援A型事業所でPCを使った事務をしています。現在は、週3日、1日3時間だけ通いで働いていて、環境に慣れたら日数を増やしていけるよう配慮していただいています。

20歳から続けていたモデル・俳優としての活動は、続けるのが難しいと感じるようになりました。現場では発達障害を公表せずにいたのですが、「普通にしよう」と意識しすぎるあまり、メンタルダウンしてしまったんです。

Photo by:Lonesome Ishimoto

──「普通にしよう」とは、具体的にどのようなことを意識されていたのでしょうか?

自閉スペクトラム症の症状のひとつに「動きがぎこちない」ことがあるのですが、私にも独特の動きの癖があります。現場では癖を隠して必死に“普通”に見せようとして、萎縮していたんですよね。

私のちょっと変なところを気に入ってくれる人たちもたくさんいたし、気遣っていただいてきたので、自分だけが気にしすぎていたとは思うんです。そうと分かっていても心の底から開き直ることができず、周りに合わせようと頑張ったり、事あるごとに自分と健常者を比べたりしてしまって、ナイーブになりがちでした。

拘束時間が10時間を超えることも多く、疲れがたまりやすかったのも体調を崩した原因だったと思います。そこで一旦今までの活動を少し抑え、主軸を変えようと障害者雇用を検討することにしました。

──大きな決断をされたんですね。

はい。昨年末は特に体調が悪くて、常にイライラしていたり起きられなくなったり、記憶が飛んだり……。「心身の健康と経済のバランスのとれた生活に立て直さなきゃいけない」と強く感じて決断しました。今後どんな風に仕事していくかは自分でも分からないですが、その時その時に考えればいいと気楽な気持ちでいます。

──新たなキャリアを歩むにあたり、どのようなことから始めましたか?

まずは公的職業訓練を利用して、PCスキルを身につけることから始めました。在宅で学べたので、心身への負担が少なく順調に進められたのが幸いでしたね。もし毎日通いで勉強しなければならない環境だったら、つらかったと思います。

でも、就職活動は難航しました。

──どういった点が難しいと感じましたか?

私は人間関係や通勤、音のある環境が心身の負担になるので「在宅ワーク」を条件に就職活動しました。でも面接では、「それは自分の都合だから優先事項ではないですよね。まずはやる気を見せてください」と言われたことがあって……。

フルタイム勤務以外は受け入れていない企業も多く、そもそも自分の条件とマッチする求人が少ないんですよね。「障害者雇用」「合理的配慮」という言葉ばかりが先行して、本質的な理解や制度が追いついていないと肌で感じました。

現在は在宅ワークではありませんが、日々「体調はどう?」と気にかけてもらいながら無理のない範囲で働けています。働く人の障害の有無にかかわらず、すべての会社がこうだったらいいのに、と思いますね。

──こうだったら、とは具体的にどういうことでしょうか?

気軽にお互いのコンディションを共有し合える環境です。これまでの職場では「体調が悪い」と正直に言えずに、無理して働いて動けなくなることがありました。でもこれは、私だけではなく多くの人が抱えている悩みだと思うんです。

先日Twitterで、「HP(体力)見える化制度」を取り入れた会社を知りました。社員がHPゲージが表示されたバッジをつけるんですが、お互いのコンディションを気軽に共有できれば、すごく働きやすいだろうと思います。

「発信」が自分と同じ想いを持つ仲間とのつながりを生んだ

──文目さんは、SNSでご自身の発達障害を公表していらっしゃいますよね。多くの人に向けて公表することに抵抗はありましたか?

抵抗はまったくありませんでした。「隠していても仕方ないから、言っちゃおう!」という軽い気持ちでしたね(笑)。想像以上に反響が大きくて、色んな人から相談や質問がくるように。

TwitterInstagramYouTubeで質問に答えているうちに、ありがたいことにどんどんフォロワーが増えていきました。

──文目さんにとって、SNSはどんな存在ですか?

実生活では、意外と障害について打ち明けられないことが多いんです。言う必要がなかったり、言うタイミングがなかったり。打ち明けた結果、「障害者に見えないから、言わないほうがいいよ」と言われたこともあります。

でもSNSだと、会話する必要がないし、相手の反応を伺う必要もない。何にも縛られずに自分の意見を言えることがすごく楽で、心地いいです。プロフィールに発達障害であることを載せていたら同じような想いを持った人がフォローしてくれて、新しいお友達ができることもありました。

──SNSでの公表がきっかけで、新たなつながりが生まれたのですね。

はい。SNSを始めて気付いたのは、障害について自分から発信できない人が多いということです。障害への理解が進んできているとはいえ、偏見はなくならないので、相談したり情報を得たりするにはまだまだハードルがあります。

その点SNSは匿名性があるため気軽に情報を得られますし、気持ちを吐き出せたり、不安を共有できたりする。私の発信で、何かしらのつながりや気づきを生み出せてるのだとしたら嬉しいです。

「ちょっとやってみよう」くらいの気持ちで一歩踏み出してみる

提供:文目ゆかりさん

──文目さんは、モデル・俳優や調理師など、いろんなことに挑戦されていますよね。精神疾患や発達障害が原因で、なかなか踏み出せない人は多いかと思いますが、前向きに挑戦し続けられる理由を教えてください!

モデルも調理師も、もともと「嫌い」からスタートしているんです。10代の頃は自分の容姿にコンプレックスがあって、お店のウィンドウに映し出された自分の姿を見て嫌になり、帰宅した経験があるほど(笑)。

写真を撮られるのも苦手でしたが、スカウトされてモデルを続けるうちに、容姿に対する執着は消えていきました。

調理師も同じで、料理が大嫌いでしたが「少しくらいできたほうがいいよね」程度の軽い気持ちでキッチンのアルバイトを始めたんです。これまで知らなかったことを学べるのが楽しくて、気付いたら免許まで取得していました。

だから、「挑戦しよう!」と頑張っているわけではないんです。「なんとなく」や「流れ」で始めて、ハマるものもあればハマらないものもある感じですね。

──農業や狩猟などにも挑戦されているので、とてもエネルギッシュな方なのかと思っていました!

いえ、そんなことはまったくありません(笑)。何を始めるにも考え込んでしまう慎重派なので、踏み出せない気持ちはよく分かります。

だからこそ、「ちょっとやってみよう」くらいの気持ちでいいんじゃないかなと。「嫌い」「苦手」だと思っていても、やってみたら意外と合っていることもあるし、もし合わなかったらやめればいいですよね。心地よい環境かどうかは、やってみないとわからないですから。

とはいえ一歩踏み出せないときは、自分の直感を信じてみるのもひとつです!「なんで踏み出せないんだろう」と気持ちを深掘りしてみると、踏み出さなくて正解だったと思えることが多々あります(笑)。

だから、「何か始めなきゃ」と焦ったり頑張りすぎたりする必要はないと思います。

白石 果林

白石 果林

1989年生まれ、さいたま市在住のフリーライター。生き方や働き方、メンタルヘルスに関心があり、インタビュー記事を中心に執筆。

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