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自由な生きるためには責任が伴う
自由という言葉を辞書で調べてみると、以下のような説明が出てきます。
「自由とは、強制や束縛を受けずに気ままに振る舞えることを意味する。」
強制や束縛を受けない人生……なんて甘い響きでしょうか。しかし、現実はそう甘いものではありません。自由に生きるためには、常に責任が伴います。人によっては、多少の不自由を感じていたほうが幸福度が高いことも多いでしょう。
例えば会社というコミュニティから自由になると、自分で仕事を探さなくてはいけません。すべての人間関係から解き放たれれば、孤独なときに助けてくれる人がいなくなります。自由が与えてくれる甘美なイメージは、あくまで表向きの話です。
法律やモラルを守る責任や、社会の一員として何らかの形で貢献する責任。それらを所持することで、初めて自由を謳歌(おうか)できます。自由とは怖く不安で、孤独なものです。ただ好き勝手に生きるだけでは、人間関係も築けずに寂しい人生となってしまうでしょう。
自由な人生を歩むことは、視点を変えれば「今までとは違う、新しい不自由さを手に入れる行為」でもあるのです。
今抱いている不自由と、自由になったからこそ抱かなくてはならない不自由。自由な人生を求める人は、どちらを選んだほうが幸福であるのかを自分自身に問い続けなくてはなりません。
参考:コトバンク「自由」
「自由に生きたい」と思う人の特徴
ここでは、「自由に生きたい」と思う人の特徴として挙げられるものをご紹介します。自由な人生は多くの人が憧れるものですが、現実の世界に大きな不満がなかったり、今持っている幸せを手放したくなかったりするために、実際に行動に移す人はそう多くありません。自由を渇望する人は、特有のストレスを抱いている人が多いものです。
1.自己主張が苦手
自由な人生を求める人は、自己主張が苦手なタイプが多い傾向にあります。日常的に自分の本音を押しこめて、ありのままの姿で人と接することが難しい人は、理想と現実のギャップに苦しみます。
普通に生活をしているだけでも抑圧された人生を送っているような感覚になり、苦しみから解放されて自分らしい毎日を過ごしたいと感じるでしょう。つまり自己主張が苦手な人にとっての自由とは、周りに気を使わずに本音が話せ、欲求に忠実に生きることを指します。
2.周りに合わせてしまう
自分よりも周りの意見を尊重し、他人に合わせてしまう人は自由な人生に憧れる傾向にあります。本当は自分の意見を主張したいのにもかかわらず、コミュニティの雰囲気が悪くなったり嫌われてしまったりすることを恐れて、自分らしい生き方ができていません。
周りに合わせてしまう人の求める自由とは、ありのままの姿でいられる場所です。つまり「自由になりたい」という言葉の裏には「自由に振る舞える居場所が欲しい」という本心が隠されています。
3.束縛されることが嫌い
束縛されることが嫌いな人は、あらゆるルールや常識から解き放たれて自由な人生を歩みたいと望みます。ストレスを感じる束縛の種類はさまざまで、例えば会社の決められた作業マニュアルや制服、言葉遣い、拘束時間、友人や恋人からの束縛などが挙げられるでしょう。
とはいえ、コミュニティは定められたルールを守るからこそ秩序が保たれるものです。束縛されることが嫌いな人の望む自由とは、自分の自由に時間を使い、好きな格好で気の合う人間関係のみを築きたいという欲求だといえます。自分に与えられた限りある時間を、他人の影響や束縛を受けずに使いたいと思っています。
4.常識に縛られない発想を持っている
常識に縛られない発想を持っている人は、自由に生きることでこそ自分らしさを発揮できると信じているタイプです。例えば画期的なアイデアを提供しても、会社の上層部がNOと言えば採用されることはありません。
自由な人生を選べれば、自分のアイデアを好きなように形にできます。たとえ失敗に終わってしまっても、挑戦する前に諦めなくてはならない環境よりははるかに納得感を得られるでしょう。このタイプの人が求める自由とは、直感やセンスに制限をかけずに存分に発揮できる場所のことです。
自由=幸福とは限らない
私たちはさまざまなルールに縛られて生きていますが、そのお陰で平和や安泰を得られていることも忘れてはいけません。例えば会社のマニュアルや規則は煩わしいものですが、それらを守るからこそ安定した報酬を得られ、福利厚生の恩恵もあずかれます。
恋人同士でも「浮気はご法度」というルールがあるからこそ、お互いに大切にし合うことができます。何より、私たちの生活を守ってくれているのが憲法や法律です。「犯罪を犯してはいけない、犯した人には罰を与える」というルールがあるからこそ、私たちは隣人に脅えずに生きることができるのです。
自由な人生は確かに素晴らしいものであり、ストレスフリーな未来が待っているかのように思えます。しかし自由の意味を履き違えると、私たちの平穏な生活は途端に崩れ去ってしまうでしょう。
自由であることは、幸福であることだとは限りません。人によっては、一定のルールを課されているからこそ自分を律せられ、今ある幸せを手放さずに済んでいるという人もいます。「どの程度の自由を与えられれば最も幸福だと感じられるか」は、人によって尺度が違うものです。
とはいえ、自分にとっての幸福は何かがイメージできない人も少なくないでしょう。下記の記事では、幸せの定義や幸せを見つける方法などをご紹介しています。人生のビジョンを見つけるためのヒントとして、ぜひ役立ててくださいね。