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必要とされたい…寂しい…
人間は精神的に支えあうことで強さを得られる反面、孤独を感じると心が落ちこんでしまいます。寂しさは他者とのコミュニケーションで埋めることができますが、自分を自分で肯定できる強さがない限りは、いつまでも孤独を感じてしまうでしょう。
精神的に自立した人間になるためには、寂しさを自分でコントロールする必要があります。
今回は、誰かに必要とされたいと思う理由や対処法をご紹介します。ネガティブな感情を抱く自分を否定せずに、原因を知り改善していくことが大切です。ありのままの自分を肯定しながら、より生きやすい考え方を探していきましょう。
誰かに必要とされたい欲求が生まれる心理
誰かに必要とされると、自分の存在が許されたような感覚になりますよね。できれば他人の存在に依存せずに自己価値を感じたいものですが、心の隙間は簡単には埋まらないものです。
ここでは、誰かに必要とされたい欲求が生まれる心理として挙げられるものを3つご紹介します。必要とされたいと思う感情は悪いことではありません。寂しさや虚しさを感じる原因を知り、自己理解を深めた上で対処法につなげていきましょう。
1.自分が価値のある存在だと確認したい
自分の存在価値に疑問を感じてしまったときには、誰かに必要とされたい欲求が生まれます。自己価値を自分で決められず、自分に自信が持てていない状態です。誰かに必要とされることで自己価値を認識し、安心したいと思っています。
自分が誰にとっても価値のない人間だと思うと、何のために生きているのかがわからなくなってしまいます。誰かや何かに親切にするだけでは安心できずに、自分でなくてはならない理由を探し「自分は存在していてもいいんだ」と思いたい心理です。
2.愛情が欲しい
他人からの愛情に飢えていて、寂しさを感じている状態です。たとえば恋人に振られてしまったときや、仕事で怒られて自尊心を傷つけられたときなどに「無条件に愛してくれる存在が欲しい」と感じます。
誰にでも与えられる愛情ではなく、自分だけに注がれる特別な愛情を欲しいと思っています。また人によっては特定の人物からの愛情だけではなく、複数人から愛情を注がれることで承認欲求を満たそうとしている場合もあるでしょう。
3.人から頼られて安心感や幸福感を得たい
誰かから頼られると自分の価値を認識でき、他人から必要とされている感覚を得られます。求められるほど「自分はここにいてもいいんだ」と思え、安心感や幸福感を抱きます。心が穏やかでいられる場所を見つけるために、求められる人材になろうとしている状態です。
人から相談を受けたり甘えられたりすることで、喜びを感じつつ自分に自信を持つことができます。周囲からの賞賛や尊敬を得るために自分の能力をアピールしたり、孤立している人にわざわざ自分から声をかけにいったりすることも。
誰かに必要とされたい・承認欲求が強い人の特徴
ここでは、誰かに必要とされたい人の特徴を3つご紹介します。承認欲求が特に強い人は、自分のことばかりを考えてしまって人間関係のトラブルを起こすことも多い傾向にあります。自分の心理や言動を振りかえりながら、改善したい部分を見つけていきましょう。
1.自己肯定感が低い
誰かに必要とされたい願望が強い人は、自己肯定感が低い傾向にあります。自分に自信を持てていないため、周りから求められることで自分の存在価値を確かめようとします。
どれだけ努力をしても、自分で自分を褒めてあげることができません。周りに認めてもらえなければすべての努力は無駄であると感じていて、自分がやりたいことよりも周りに求められていることを優先して取りくむことが多いタイプです。
2.寂しがり屋・目立ちたがり屋である
寂しがり屋な人や目立ちたがり屋な人は、承認欲求が強い傾向にあります。人にどれだけ注目をされているか、チヤホヤされているかで自分の価値を計るタイプで、SNSのフォロワー数や投稿への反応の数で人間の価値を判断することも。
注目を浴びるためなら、モラルに反した行動を取ってしまうケースもあります。また寂しさを癒すために異性を誘惑したり、友達や家族を振りまわしたりして、結果的にコミュニティで孤立をしてしまうこともあるでしょう。
3.他人に依存しがち
他人に依存しがちな人は、自分1人の力だけで生きていくことを困難だと感じています。精神的に自立できておらず、誰かに必要とされることで初めて生きる意味を実感できます。そのため、ハラスメントを受けていても「自分は求められている」と感じている限り、相手から離れられないことも。
人生においてリスクを取ることに強い不安を抱いていて、トラブルが起きたときに責任転嫁をしてしまうタイプです。承認欲求が強い人は責められることに慣れておらず、周囲から味方がいなくなってしまうことを恐れています。そのため、判断基準や価値観を他人に依存することで、本来自分が背負うべき責任から逃げているのです。